ソポクレス『オイディプス王』

「最近読んだ本でお勧めある?」と聞かれることがあります。しかしどうでしょう,そんなこと急に聞かれても思い出せんわ! という人が多いのではないでしょうか。もちろん(?)自分もそうで,たいていは,少し考えて何も思い出せず無難な書名を出して逃げることになります。

 知識自体が消えてなくなっているわけでもないので特に困りはしませんが,ちょっと勿体ない気もします。そこで,最近読んだ中で面白かった本についてブログに書いてみることにしました。「書評」などと肩ひじばったものにするとおそらく続かないので,軽めの「紹介」でいこうと思います。
 
 さて,第一回は『オイディプス王』。『コロノスのオイディプス』『アンティゴネー』と続くソポクレスの三部作の一作目です。有名な作品で,名前を聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。他の二つも既読なのですが,冗長になるので今回は『オイディプス王』だけにしましょう [ref]三部作をひとつずつ紹介することでネタの数を稼げるぜ! とかそういうような不埒な魂胆では決してないのでご安心ください。[/ref]。

 この物語は,知力でスフィンクスを下しテバイの王となったオイディプスが,あることを知ることを求めたばかりに不条理で悲劇的な運命に巻き込まれてゆくさまを描いたものです。あらすじを長々と書くような無粋はやめておきましょう,短い作品ですので,ぜひご自身で読んでみてください。

奇妙なことに,この作品からはとても現代的な印象を受けます。むろん舞台は古代ギリシア,登場人物も王や神官とものものしいですし,そもそも劇の台本であることもあり,形式は非常に時代掛かっています。ではなぜ現代的な印象を受けるのか考えてみると,作品を根底するテーマが現代的にもそのまま通じるものであるからなのではないかと思います。

そのテーマとは,雑に言ってしまえば,知ることによる不幸と,それでも知らずにはいられない人間の性(さが)……というものです。これが中世に書かれたものであれば,神が素晴らしい答えを与えてくれたことでしょう。近代に書かれたものであっても,進歩と科学がやはり素晴らしい答えを与えてくれたはずです。しかし21世紀の今では,神の姿は見えませんし,人の理性もどうやら無条件に信頼できるものではなく,明日が今日より良くなる保証なんて何もないということがわかってきました。

日本でも,近代科学への反発からか,「自然」な疑似科学が大手を振って流行するようになって久しいです。とはいえもはや我々は文明を捨てることはできません。そこで,先に述べたような葛藤に直面せざるをえなくなっているのです。しかしこの作品ときたら,2500年も前に書かれたものでありながら,既にこの「現代的」葛藤にどっぷり浸り,これとまっすぐに向き合っているのです。どうでしょう,なかなか面白い話じゃないでしょうか。

 この作品から安っぽい教訓を見出したり,軽薄な言葉遊びをするような愚は避けたいものです。ははあ,古代ギリシアの連中も同じようなこと考えて生きてたんだなあ,と思いっきり俗な感想を吐いて,今日は筆を置きます。
 
 ソポクレス著,藤沢令夫訳『オイディプス王』(岩波書店,改版,1999)

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